元荒川の三連蔵
越谷市の元荒川沿いにあった古い三連蔵の物語です。
旧家に残っていたこの蔵を見つけたのは、地元NPOの人達です。
代表のMさんのメールは次のようでした。
「O家は最盛期には女中さんが100人いたといわれています。
農産物の売買だけでなく、材木問屋も兼ねていたとのことです。
深川から元荒川を使って船で材木を運び売っていたのです。」
「O氏は次のようにいっていました。壊れるのにまかしている。
積極的に壊すつもりはない。保存したいが個人では出来ない。
文化財にされたって年5万円なんだからどうしようもない。
せめて保存を条件に固定資産税を免除してくれたなら。」
それでは我が事務所が一肌脱ごうということになりました。
再生計画案をつくりそれで保存運動をしよう、ということです。
元荒川広場計画の構想図や模型をつくり上げました。
そろそろいろいろなところに働きかけよう、という時でした。
地元NPOのMさんから次のようなメールが届きました。
「O家の三連蔵と蔵つき住宅が取り壊されたことをご存知ですか。
もうきれいな更地になっており、かなり広い土地だったんだと改めて
思いました。根岸さんが作ってくださった模型がこの更地の上に
あったらどんなによかったことだろうと、しばし、たたずんで
しまいました。何もできなかったことを悔しく思いました。」
たぶんマンションが建設されるのでしょう。
実は私もその方向は予感してましたので、その時は三連蔵を
マンションの集会室として残したらどうかと思ってました。
間に合いませんでした。まことに残念です。
古い建物の保存は、所有者が自分で利用しようという場合でないと、
なかなか実現しないものです。
以上、元荒川三連蔵の悲しい物語でした。